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すべての感情を娯楽にする/「頭のゴミを捨てれば脳は一瞬で目覚める」

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感情のゴミを捨てるコツは 、

「すべての感情を娯楽にすること」

「ゴールに無意味な感情は捨て、ゴールに意味のある感情だけを味わうこと」

です。

その基本にあるのは、抽象度を高く上げること。抽象度を上げて、ゴールを設定し、すべての行動をゴールのために行なうことです 。

出典「「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

頭のゴミとは、集中力や思考力、充実感を高めることを邪魔するもののことである。

 

ゴールを意識せよ

そのゴミの一つ目は「感情」だ。環境の変化による生体反応に過ぎない感情に振り回されて

生きることをやめるべきであり、そのためには、視点を高くして、ゴールを意識して生きることが有効であると筆者は言う。

つまり、ゴールや目標がないひとは、目の前のできごとに一喜一憂してしまい、スッキリした頭の状態を保てないのである。ゴールに無意味な感情を捨ててしまい、意味ある感情だけを味わうことだ。

 

全ての感情を娯楽にすること

この「娯楽」という発想は面白い。

悲しみまでを娯楽にするのは難しいかもしれないが、今日は思いきり泣ける映画を見ようとか、そういう感覚で、湧き上がる感情を味わえということだろうか。

人生はゲームだよ。

という話があったのを思い出したが、敵がいたりして、苦労して、何かを成し遂げる。それが面白いのだ。(人生ドラクエ化マニュアル - 覚醒せよ! 人生は命がけのドラゴンクエストだ! -

なるほど。感情を娯楽として味わうという意識を持てれば、感情に支配されることはなさそうだ。

 

幸せとか嬉しいという感情をゴールにしてはならない

感情とは、上がったり下がったり、目まぐるしく不確実なものだから、それ自体をゴールや目的にしてはならない。頭のゴミがなくならないから。あくまで、ゴールを目指すなかでの副産物でしかないというのが筆者の意見だ。

うーん。「何のためにこれやってるの?」と聞かれたら、最上位にあるのは「幸せになるため」。そう思ってきたから、これにはやや違和感もある。目的と手段があるとしたら、目的は幸せになることであり、そのための手段をむしろ、目的と取り違えるなというくらいの意識があった。

ただ、だからこそ、一時的に幸せを感じても、すべては変化してくのだから、次の瞬間、不幸せを感じて、いつまでたっても満足は得られないということもわかる。

そういえば、ブッダの教えも、世の中は無常であるということ、ただ今をひたむきに生きるということであることを思い出した。

感情に支配されないようにというのは、ブッダと同じことを言ってるのかもしれない。

禅の世界では、ひたむきに生きるために、瞑想や感覚に集中するという手段を挙げている。ここで筆者が言っている、ゴールに向かってひたむきにやっていくというやり方もありなのかもしれない。

ただ、視点を高くするあまり、心を遠く、未来に置いてしまっては意味がない。ゴールも意識した上で、今ここに心をおくのだ。そして、人生をおもしろくするために、楽しい!とか幸せ!という感情を存分に味わうことはやっぱり大事にしていこうとボクは思う。