あと5本、あと10本、ヒットが打てるかどうか、その誤差のような違いで、年俸のケタが圧倒的に変わってくるのだ。
「並 」「一流 」「超一流 」の違いは、実のところ数字上では紙一重の差でしかない。
野球選手は、わずかな打率の差、つまり、年間にしてヒットが人より5本多く打てるかどうかで、圧倒的に年俸が変わってくる。
それは、スポーツの世界だけの話ではないか?
そうも考えたが、先日の三木谷曲線の話を思い出した。
皆それぞれに努力や研鑽を続けているから、実際にはほとんど差なんて生まれない。しかし、そこから、さらに努力して、誤差のようなほんのわずかな差を生み出せた人間が、たくさんのものを手にするのだ。
(最後の最後まで粘ったものが大きな成果を手にできる(三木谷曲線) - 1分★読書)
才能もあるかもしれない。人間なんてそんなに変わらないよというけれど、その「そんなに」というところの差が大きいのだ。しかし、自分でコントロールできることにフォーカスするしかないわけで、前向きに生きるために、持って生まれたことの違いの話についてはもう忘れてしまおう。
少ししか変わらないということを侮ってはならない。紙一重の差が超一流を生むのだ。(神一重だね)