自分のリアルな姿を知るためには、他人からの的確な指摘が欠かせない、となるのではないでしょうか。自分で自分を知ることは難しいけれど、他人にはこちらのことがよく見えているからです。
自分のことを客観的にみることは難しいが、他人のことならよくわかる。
一人でやってたら、バランスを欠いた判断や行動をしてしまうことがある。小さなことにクヨクヨしたりすることもある。
他人から見たら、それってなんか変だよ、もったいないよと気づけるのに、自分だけでは気づけない。
人って、そういうものである。
鏡を持てばよい
だが方法はある。
鏡を持てばよい。
つまり、鏡のように、自分に対して感じたことをしっかりと伝えてくれる人に、そばにいてもらうことだ。
イエスマンが側にいてくれても、自分を見失うことを防ぐことはできない。
正直に言ってくれる人は貴重
世の中を見ていると、わざわざ心を削りながら、身を削るリスクを背負いながら、あえてストレートに自分の意見を言ってくれる人なんて、稀である。
誠実でありながら、なんとかなってほしいという愛と期待が溢れていなければ、そうはならない。
いやそこまで贅沢は言っていられない。この際、単に思ったことを正直に口に出すだけの人であってもかまわない。
もし、そんなに貴重な人に出会ったなら、手放してはならない。腹がたつような指摘であったとしても、その言葉をいったん受け入れてみよう。それなりに発見があったならば、その人を大切にし、距離を置いたり、手放してはならない。
歳をとってきたら
若いうちは、先輩や上司が指摘をくれるかもしれない。しかし、歳をとってきたら危ない。
普通にしていれば、自分に興味や期待を持ってくれる人が減るのは間違いないのだ。
そして、自分より若い人たちの多くは気を使って何も言わなくなるだろう。
なるべく横の関係を維持することだ。
威厳とか要らないんだと思う。
よい話もわるい話もしっかりと聴く。
フェアな態度や評価を貫く。
そして行動を起こす。
そういう努力をしていけばよい。
そうしないと、鏡を失う。
鏡を持たずに生きていくことになる。